星ヶ峯ニュータウンの歴史

もともと本地域はシラスの侵食によってできた谷がはしる台地であったが,人口の都市集中化現象により新しく造成された住宅地である。
かつて,このあたりには,南方1km,東西200mにわたり,蕨野と呼ばれる集落があり,谷あいに田んぼ,台地に畑があり農家が点在していた。
この集落は南北朝時代の南朝に属する菊地氏一族や,島津日新公の守役の子孫等が,南端の永谷八町の水田や台地の畑を耕して生活していた静かな山村であった。古い墓地からは,菊水の紋の入った墓石などが見つかり,この地区の歴史の古さを物語っている。
明治初年は薩摩の国,谿山郡五ヶ別府蕨野と呼び,明治22年谷山郡が村制をしき,また大正13年10月1日には町制をしき,ついで昭和33年10月1日,市となり,昭和42年4月29日鹿児島市と合併し現在にいたっている。
蕨野には,広木に通じる小さな隧道があったが,団地造成にともなって取り壊され,現在新しく田上方面に連絡する大牧トンネルが開通している。
昭和51年宅地造成に住民が同意し,翌52年から鹿児島開発事業団の事業として造成が始まった。53年には住宅が建ち始め住民が居住するようになった。
団地は星ヶ峯ニュータウンと称され,東西900m,南北2kmにわたり,田上方面,山田方面からの新幹道路が連結するあたりで,北西部と南東部に2分されている。北西部の大部分が本校区となり,北西部の南部と団地の南東部が星峯東小学校区となっている。
校区は住宅地区と一部農村地区からなり,本校と道路一つへだてて,金融機関,ショッピングセンターが設置されている。
ちなみに星ヶ峯の名は,蕨野集落にあった星ヶ峯(東小校区)という小字の名称を使ったものである。
「星峯西小学校のホームページ」より転載。
この記事は、星峯西小学校の承諾を得て転載しています。
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